権利があるということ

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今日は早めに仕事を切り上げようかなと思っていたときに友達から連絡。
少し仕事を残しつつも会社を出て、友達のクルマに乗り込む。
音楽をガンガンにならしながらR KellyのHappy SummertimeやJoeのAll the things your man won’t doを大合唱しながら目黒へ向かう。ノリノリで最高の週末にするぞ!と意気込んでいた。
その後めちゃめちゃうまい焼き肉をみんなで食って飲んで騒いでスーパーいい気分で楽しい時間があっという間に過ぎた。
今夜は早めに引き上げて家路につく途中に、ふと考えさせられることがあった。
山手線の最終電車。優先席のそばで漫画を読みながら早く新宿こねえかなあって思ったときにとあるおばさんが優先席に座っていた若いギャルギャルしていた女の子に向かって口を開いた。
「すいません、ここは優先席ですよね?私はその席に座る権利があるので席をどいてもらえますか?


その話しかけられた女性は、「なにいってんのこの人?」みたいな顔をしながらも渋々席を譲った。
優先席周辺に居た人も唖然としながらそのおばさんが悠々と優先席に座るのをみていた。
こういう言い方をする人を過去に何回かみたことがあった。
体、もしくは心の不自由な方だった。
(そのときは当事者だったがそれは今回は割愛する)
新宿駅に電車が到着した。席に座ったおばさんはよろよろと立ち上がり、足を引きずりながら向かいの総武線の電車に乗り込もうとしていた。
そこでおばさんが優先席が近くにあるドアに向かって歩いていくのをぼんやりみた。
自分も予定では同じドアに入っていく予定だったが、敢えてそれをやめ、ほかの車両に移った。
彼女は自分の席に座る権利を主張し、結果その席に座るだろう。
それをみたくなかった。弱い人(とは言いたくないが敢えてそう書こう)の立場を利用して(こういう言い方も本来したくないし、しないが書くことにする)周りから自分のための席を獲得する。
今まで足が不自由であった不幸さを考えれば確かにそれくらいのささやかな権利は得てもおかしくないのかもしれない。
だが、その自分の立場をうまーく使って席に座ることを当たり前だと思って欲しく無かったからだ。
基本的に自分は席を譲らないのがポリシーだが、明らかに苦しそうなひと、座りたそうな人に対しては「席をお譲りしましょうか?」と効くことにしている。
「どうぞ?」 とは言わない。
カナダに住んでいたときにバスにのって補修校(週末の日本人学校みたいなもの)に乗っていたときのこと。
よろよろしたおじいさんに「席をどうぞ」 と譲ろうとしたことがある。
その刹那「私はそこまで老いてはいない!馬鹿にするな!」と烈火のごとく怒り狂って抗議されたことがあるからだ。
当時私は中学生だったが、良かれと思った事がここまで怒る必要は無いじゃないかと若いながらもショックを受けた。
それからよかれと思って行動することが怖くなった。今でも多少引きずっているところはあるかもしれない。
何かを見返りに求めるつもりでもないし、それをすることで何か利益を得ようなんて思っちゃいない。
だけど、それなりに席を譲ろうと勇気を振り絞って席を譲ろうと声を掛けたんだ。有り難うとにっこり会釈されてもいいじゃないか! と怒っていた事をぼんやり思い出した瞬間に、悟った。
自分も当時席を譲ろうとした際にお礼を言われる権利を主張していたんだと。
それって親切ではなく、独りよがりな偽善に過ぎない。
自分の生活に於いて権利を主張するという場面を時々目にする。
「自分がこんなに頑張ってるんだから周りはもっと自分を認めるべきだ!」って思う人もいるし、
「自分はこれまでこんなにお金と手間をお前につぎ込んできたんだ。だから一発やらせろ!」と考える人もいれば、
(コレは100%オトコの言い分でしょうけれども・・・)
「自分は不幸でついていないんだから世の中はもっと自分に優しくしてほしい。」って思う人もいるだろう。
「お金を払ったんだからその分自分にはそのお金に見合った対価として楽しい時間を過ごしたり、うまいものを食べて幸せな気持ちになる権利を主張出来る」と思うことは自分自身良くある事だと思う。
だけど、それって今回自分自身の過去を振り返って結局は自分の独りよがりな感情にすぎないかもしれないと思い始めてきている。(自分自身含め)
つまりのところ、何らかの見返りを期待している。何らかの自分のとる行動や発言に対して。
かくいう自分自身もそうだ。
自分自身が無意識で利己的に動いているのに気づいてちょっと色々と発見がありました。
今日はたまたま早く会社を出たことでここまで深く色々と考えることが出来た。
自分自身を知り、再び見つめ直すのに良い機会になりそうです。